橋を渡った先は死しかない

躁鬱病を抱えた人間の日記。そのとき感じた気持ちを置いておく場所。

親のために生きてきた

宗教上の理由があって、親のために生きてきた。
母を敬うことが子供の役目。父を支えることが子供の役目。両親を尊敬し、崇めることがすばらしい生き方だと。

昨日、父から聞かされた。
私は、私のあずかり知らぬうちに、この宗教に入信していたそうだ。
今も入信しているのだろう。だから祖母は頼ってくるのだろうか。


親を支えるために生きていたら、私は社会的に生きていけない人間になっていた。
自己責任を掲げるのは親も祖母も同じ。働けないお前が悪い、と。働こうとしないお前が悪いと。神経質なのも私の責任らしい。

昨日と今日でたっぷり聞かされた。


幼いころから両親は喧嘩が多かった。
それでも私たちは仲良くしていたけど、親からみたら天真爛漫で純粋に育っていると思っていたのだろうか?

menhera.jp

一人きりで子育てしている母が怒り狂い、うつ病の父はそれに触発されて泣いたりわめいたりしていた。
記憶がないほど、なにかショックなことがあったのか、幼いころを思い出せない。
両親と祖父母の喧嘩が酷かったのだろう。
死にたがり人間になる素地はすでにあった。

まともな人間に育つ素養なんてどこにもないのに、なぜ産んで育てたのだろう。


親を捨てた兄と弟が立派だと褒め称え、親も祖母も兄と弟を心の支えにしている。
これまで私は何をしてきたのだろう。
先のことなど考えず、自暴自棄になってしまえば楽になるのに。
私が死ねば家族の利益に繋がる。そういう歪んだ妄想から離れられない。

最悪な手段

両親に会ってきた。

精神科訪問看護、地活利用、週に一度ある外来OT利用など、医療相談室に訊ねてほしいと母に頼んだ。


そのあと、自殺未遂をしたこと、部屋にはまだ首吊りロープと中毒死用の劇薬があること、親に内密で入退院したことを話した。
両親そろって私を支えにしているので、その支えにしている私がずっと自殺を考えている現実をぶつけてきたわけだ。

相変わらず父は「じゃあ仕事辞める」と試し行為をしたきたが、死ぬための薬を用意してくれたら辞めてもいいよ、と伝えた。
仕事を続けようが辞めようが、死ねるならかまわない。

母の退院はそれだけ重たい事柄だ。
弟はわかりやすくキレるが、私だって当たり前のようにキレる。
私がキレないと思っていたらしい父親は、あっさりと妄想の世界へ行く母の「じゃあ三人で死のうか」を聞いたあと、寝室に逃げた。


拡大自殺の提案なんていつものことだ。
母の妄想と私の希死念慮に耐えきれなくなり、父が逃げるのもいつものこと。
依存する相手が病気だと知ると逃げてゆく。

いつも私をゴミ箱として利用している父親だが、私の訴えは受け入れられず、試し行為が通じなければ泣いて逃げてしまう。


自分自身を切り刻むことで、父親のメンタルをぶち壊し、母親を妄想の世界にぶちこんできた。
これでしばらく退院までの時間稼ぎができるだろう。

それでも日々はつづいてしまう

どんなに深い絶望を抱えていても、生きていくしかないのが人間だ。

他者や物に依存せず。過剰摂取せず。自暴自棄にならず。逸脱行為をしない。
それが回復への道のりだから、でもだってと言い分けせずにやるしかない。

抑うつだから抗不安薬を飲んで、昨日の予定どおり、食事を作った。



昨日は自傷行為をした。
カートリッジに劇薬のアンプルをセットして、針をセットし、左腕に刺した。適当に。
少量なので死にはしない。痛みを感じるうえに、リストカットのような傷痕が残らないのがすばらしい。カミソリで切るとばれやすい。そのてん針は便利だな。絶対ばれない。
何をバカなこと書いてるんだと思うが、昨夜はそうでもしないと閾値を越えそうな状態だった。

自傷抗不安薬を飲んで眠ったから、閾値を越えずに目が覚めて、小松菜と厚揚げの煮浸しを作り終え、ぬるいカフェオレとチーズトーストという食事を終わらせた。


作った食事を持参して実家に寄り、母に会うか悩んでいる。
会ってしまうと何か終わる気がして、ずっと会えずにいる。
病棟がかわって、落ち着いていると知らされたとき、一度だけ会った。やつれていたが、普段どおりに話していた母が悲しかった。

盗聴器がある!アンテナの電波で私の考えが世界に筒抜けだ!頭にチップが入れられてる!世界が!世界に広がってる!
幻聴と妄想のなかで苦しむ母をずっとみてきた。

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思考化声(考えていることがそのまま声になって聴こえる)
思考吹入(考えが外から吹き込まれる)
思考奪取(考えが抜き取られ空っぽになる)
思考伝播(考えただけで周囲に伝わってしまう)

母の症状は、統合失調症ではよくあるものだ。
昔は母の妄想を信じていた。信じるしか私の生存方法がなかった。
本人がつらいと訴えてるのに、私たち家族が否定してどうなるんだ?


……あれこれ考えても疲れるだけだ。母に会いに行こう。

家族の幸せ=己の死

お母さんは、アルコール依存症です。でも、運動会にも授業参観にもきてくれます。
けれどお父さんはいません。なぜならお父さんは病気だからです。

お父さんは病気なので、私たち兄弟は、週末、おばあちゃんとおじいちゃんのお世話になっていました。
おじいちゃんは、おじいちゃんのおうちで働いているので、会うのは日曜日です。日曜日になると、町にひとつだけあるデパートにおでかけして、お菓子を買ってもらい、いつも食べられない外のご飯を食べます。

お母さんは毎日、おかずを三品以上作ります。それが正しい食育なのだと信じているからです。正しい教育だと信じているからです。
外食は許しません。


私もお兄ちゃんも、産まれてきたときからお母さんが職業を決めていました。
お兄ちゃんはお医者さん。
私は薬剤師。
弟は運動が得意だったので、お母さんとお父さんは、弟のために別の道を探していました。
私はほったらかし。


お医者さんになるのも薬剤師になるのも大変なので、10歳になるころには、毎週日曜日、模試を受けていました。
平日は塾です。学校が終わるとすぐに塾のしたくです。夜の8時まで塾に通い、その前後は予習復習、寝るのは10時以降だった気がします。朝、起きるのがつらかった。
塾は、ほぼ毎日ありました。
友達と遊ぶ暇は、あんまりなかったです。


中学受験は失敗しました。
高校受験も失敗しました。
高校生になったとき、お母さんは統合失調症になりました。お父さんは仕事を辞めました。
お金がなくなりました。学費を払えず、学校を辞めました。
大学進学するお兄ちゃんの学費を払うためです。


高校を中退した私は、毎日、おかしくなったお母さんとお父さんを慰めていました。
お母さんは盗聴されていると怒ります。お父さんは、そんなわけないだろうと怒ります。お母さんはどうしてわかってくれないんだ、と、さらに怒ります。お父さんは、どうしてわかってくれないんだ、と、さめざめと泣きます。
ふたりの間をとりもっていたら、私は病気になりました。

無事に家から逃げ延びた兄と弟は知らん顔です。


お父さんが、癌になりました。
仕事ができなくなりました。
おじいちゃんは認知症になりました。
いよいよ生活がたちゆかなくなりました。
お医者さんは、障害年金の申請をしてくれました。



そうして私は、お母さんとお父さんのために生きてきました。
兄と弟は、お母さんとお父さんを疎んでいます。
けれど、お父さんが働けるようになり、気づいたら私は社会的資源の価値がなくなり、兄と弟は冷たくなりました。
それもこれも、病気になった私の責任です。


産まれてきたのが間違いでした。
穀潰しの私が生きていたら、家族は幸せになれません。私にお金をかけるより、兄と弟にお金をかけたほうが効率的です。
私は家族の幸せを願っています。けれど、私が存在していたら家族は不幸になります。
今、のうのうと生きているのは、両親を見捨てて働く努力をしなかった私の責任です。


家族の幸せを願って死にたい。
そう思うことが間違いなのはわかっているのです。

死ぬしかないなと落ち込む

来月あたり、母が退院するそうだ。

何も準備していないのに。
母があの家で日常を過ごすため、日中の不安を多少なりとも改善するための準備は、なにひとつそろえていない。

今までと同じでかまわない、と考える父親に驚いた。
そんなわけないだろう。
いつもいつも、「昼間に僕がいないからお母さんは不満に思うんだ」と主張して、母のためという免罪符をもらって仕事を辞めようとするたび、幾度となく止めてきた。
介護離職はやめてくれ、と。

訪問看護を提案してみたが、父も母も「そんなものいらない」とはねのけるだろう。
他人ではなく、娘の私を巻き込んでヨシヨシしてほしいのかな、などと、うがったみかたをしてしまう。

誰も彼もが「家族が一番」という。
あなたの人生を好きに生きていいのよ、と言いながら、父も母も祖母も、私が手を差し伸べるのを待ち構えている。


家族は大事だし、家族に寄り添って生きていこうとしているけれど、手も足も首も掴まれて生きていくのはつらい。

私と心中したがる両親だ。
生きていることがどうでもよくなったら、父親に劇薬を静注してもらうかな。殺されてもいいや。

休息

14時間睡眠。

今日できたこと

・買い物に行った
 コンビニだけど必要な食事を購入


明日やりたいこと
・漫画を返却後、体調と相談して自営業の手伝い
・ミルクティーを飲む


寒くなってきた。ミルクティーの季節だ。

マグカップに1/3くらいの水をいれる。
ティーバッグの紅茶(ホッチキスを使ってないタイプ)を入れて、電子レンジで1分温め。
数回揺らして、また少し温め。
なるべく濃く煮だし、牛乳を入れて再度レンチン。
砂糖を入れて完成。


飲みすぎるともれなく太る、お手軽ロイヤルミルクティー
去年、これでかなり体重が増えたので、途中から朝だけにしておいた。
脂質とたんぱく質が多い牛乳、とりすぎると太る。

とはいえ、あたたかい飲み物はほっとする。
今日はかなりずさんな食事をしてしまうけど、まぁいいか、と落ち込みすぎず、食べたいものを食べようと思う。

カウンセリング逃亡

今日、私はカウンセラーから逃げ出した。



6時間睡眠。寝不足。
昨日のひと言がきっかけで、頓服を飲むまで眠れなかった私は、病院の診察室でカウンセラーと対峙し、話をしていた。

カウンセラーが用意していた話のネタは、しばらく今後、どういう面談を重ねていくか決めるため、趣味の話をしようとしていたようだ。
帰路、猫カフェに寄り道していたのも知っていたらしく、猫の話もした。猫カフェの店長に話したのと同じ内容を伝えた。

しかし、昨日の私と今日の私は違う状態で、記憶に振り回されて睡眠不足に陥っていたため、猫という単語だけで不穏な記憶を思い出した。
生き物の死を見届けた記憶で心がざわついた。


ひとまず説明を重ねた。
自分を責めることがあるか聞かれたことをきっかけに、記憶があふれている状態の説明だ。

引き出しが閉まらない。マトリョーシカのように、次から次へと過去のエピソードがあふれてくる。どうにかこうにか箪笥を閉めようとしたら、空気圧で別の引き出しが開いてしまう。
そのようなイメージにとらわれている状態だ、と。

箪笥とマトリョーシカで、なんとかイメージが伝わったみたいだった。
思考が散らかっているので、状態の説明に苦労した。

主治医とこういう話(記憶のメカニズムのイメージなど)をしたか訊ねられた。誰ともしたことがないと話した。
誰もがこういう過去のエピソードを思い出し、様々な痛みと苦しみを抱えるかと思っていたので、主治医とは、あまりこみいった話をしない。

主治医がするのは常にケアだ。私の訴えを聞いて宥める役目。
あちこちにあるかさぶたを剥がさぬように、応急措置を続けてきた。
私の悲嘆は長い。人生の半分以上、痛みと恐怖だ。

カウンセラーは、過去のエピソードが芋づる式に飛び出てくる経験はないらしい。仕事柄、忘却がうまいのだろう。


よくフラッシュバックというが、映像がパッと浮かんで消えるものではない。

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。 心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つである。

フラッシュバック (心理現象) - Wikipedia


鮮明に思い出すことはあまりない。
実際におきた過去の記憶が表出するのではなく、ここ数ヶ月あまり書きためたブログの記事が、私の意思とは無関係に、つらつらと勝手に読み上げられる感じだ。

小説のページがかってにめくられていくような。あるいは、映画館にあるスクリーンに、止まることなく文章が流れてゆくような。

今の私が思い出していた記憶を、何度も何度も上映していく。
昨夜は、三時間あまりそのような状態で、思考が止まらなかった。

躁状態特有の思考散漫さ。ここまでくると、もはや症状のひとつだ。
様々な考えが次々と浮かんできて、気が散りやすく、絶えず関心の対象が変化してゆく。
脳みそがエラーを起こしているので、薬の世話になるしかない。


カウンセラーは言った。こういうときはどう対処しているか、と。
記憶が過去へ過去へと向かうので、今現在に集中するための足がかりを残すようにしている、と。ここ数週間やっていた、『明日やりたいこと』リスト、To DoではなくTo Beだ、と答えた。
強制力の強そうな「しなければならないこと」ではなく、将来的に「いつかやりたいこと」が、今現在にとどまる手段にしている。

映画は特に効果が高かったと答えた。
見たい映画を決める。二時間、シートに座ってストーリーをおいかける。一時間半から二時間ほど、過去を忘れる場。


To DoではなくTo Beか…とカウンセラーは繰り返した。
しばらく、私はカウンセラーからどう助けを借りるか悩んだが、休みたい旨を告げた。

何かをきっかけに症状が悪化するようなので、自立訓練事業所で面談するときは、過去にふれることなく今現在に集中するため、ゲームでもしましょうか、とカウンセラー。
その提案をひとまず受け入れ、ゲームは友人関係のエピソードが出てくるので、なるべく避けたいと添えた。

セラピーではなくケアがいいと伝えてみた。
うかつに傷にふれると、記憶に苦しむはめになる。友人も家族もいない私は、今のところ誰からのサポートもないため、ちょっとした問いかけで、今日のようにつまずいてしまう。


そうこうして対話をつづけていたが、体が震えていた。
私の意思は、この場から離れたいと訴えていたと気づいた。カウンセラーの発する言葉に身構えてしまい、とても怖かった。
なにはなくとも対話なので、そのまま感じていることを伝えた。

おうちに帰りたい。Netflixのカードを買って、うちでNetflixをずっと見ていたい。もしくはウォーキングデッドを一話から見たい。映画を見に行きたい。
話すというより、もはや感情を吐き出していた。


カウンセラーへの拒否反応だったように思う。
話をしたくない。安全だと思えない。安心感はうまれない。苦しむきっかけが増えてしまう。そういう恐怖で体が震えていた。

次の予約もせずに部屋を出てしまった。



地雷元だなと思う。
猫は死を連想する。ゲームは友人との離別を連想する。自分を責めるかどうかを訊ねられると、他人を傷つけたあらゆる出来事を連想する。
うかつに話ができない人間になっていて、我ながらため息が出る。

こうなったら、対話の前に状態確認から入ることをルールにしておいたほうが楽だろうか。
限られた期間、限られた時間、私の安定しない状態に左右されるカウンセラーに申し訳なく思うが、半分は仕事なので手伝ってもらおう。合わなければ、別のカウンセラーにかわってもらう。


今日はカウンセリングを強制的に終わらせてから、逃げるように映画館へ行ってきた。
ジョーカーをみにいくぞー!と勢いこんで行ってきたが、ちょうど上映開始したあとだったので、帰宅の時間もあるので、ヴァイオレット・エヴァーガーデンにした。

感想はまた後日。

今日は睡眠薬を多めに飲んで、明日一日、回復にあてよう。



追記

ちなみに、カウンセリング逃亡で自信喪失はしていない。こんな自分はなんてダメな人間なんだ…とならないのが私の長所だ。

カウンセラーにきちんと状態を伝え、むりー!つらいー!やすむー!かえるー!また次の体験利用まで待って!となっているので、個人的には成功体験になっている。

カウンセラーとは自立訓練事業所で会うし。病院でのカウンセリングをするなら、直接カウンセラーに話して病院に伝えたらいいだけ。
具合が悪くなって逃亡するくらい、カウンセリングあるあるだろう。

カウンセラーも私も、とりあえず趣味の話やらゲームやらで、擬似的な友人関係を構築しつつ、という方向性も共有している。
つまるところ、同じ方向を目指しているわけだ。

まだまだこれからだ。